乗り放題と時間と風景について
こんにちは。世界一夏休みを無為に過ごすのが得意な三田です。
そうです、大4の夏休みは人生最後の夏休みと言っても過言ではありません。
それをだらだらと過ごしていては、数年後から十数年後の私が見たら発狂してしまうでしょうから、ぜひ有意義に過ごしたいところ。
では有意義とは?と考えると、私の場合旅行です。このような長期休暇は格好の旅行日和ですし、何と言っても青春18きっぷ様を利用できる期間でもあります。
以前、青春18きっぷに関する狂ったブログを書きましたが、そこまで極端な使用法はともかくとして、ロングシートに負けない強靭な肉体と各駅停車の鈍さに耐えうる強靭な精神を持つ人間であれば、非常に安価な移動を可能にしてくれるのが青春18きっぷです。
そして強靭な肉体と精神を持った私は、毎年この時期になると青春18きっぷを握りしめ嬉々として鈍行列車に揺られるのです。
定番なのは、できる限り遠回りをして目的地に向かうというやつです。例えば今回の目的地であった名古屋の場合、私の住む埼玉県からひたすら東海道線に乗っていれば6時間もあれば到着できます。
しかしこれでは青春18きっぷの元を十分に取れないというものです。今回は埼玉→群馬→新潟→長野→岐阜→愛知という13時間超の遠回りを決行しました。まさに野を越え山を越え。
前置きが長くなりました。今回は山の中を抜けるような路線が多かったので、絵に描いたような田舎や秘境のような場所を延々走っていきます。
ただひたすら、そしてちんたら走る車内では本を読むか外の景色を眺めるかのどちらかしかありません。
そうして外を眺めていると不思議な感覚を覚えました。
どうも時間の流れが違うように思われるのです。山の中を走る路線を言っても、始発駅終着駅はそれなりに開けた場所であることが多いので、乗り始めてすぐや乗り終わる頃には住宅などの建物が立ち並ぶ中を走っています。
山の中に入っていけばいくほど建物は減り、景色の中の人工物と自然の割合が逆転し、圧倒的に後者が多くなります。
するとそういったところを走っている時の時間の流れが、都市部に比べてゆっくりに感じられるのです。
そりゃあ山の中の方が電車はゆっくり走りますが、そういうことを差し引いてもです。
視覚的な効果などを考えれば、山の中の方が景色の移り変わりがゆっくりなので、車窓を次々と建物が流れていく都市部に比べてせわしなさがないという部分はあるでしょう。
けれど私たちは田舎に行くとそういった現象とは別に、「田舎は時間の流れがゆっくりだ」とかそういう表現をするわけです。
この「田舎の時間はゆっくりだ」って何なんでしょう?
内山節さんの『時間についての十二章──哲学における時間の問題』という著作では、筆者が群馬県の上野村で過ごす中で感じた「前近代」の時間と「近代」の時間の差異が述べられていました。
以下本文を引用します。
春が訪れたとき、村人は春が戻ってきたと感じながら、それを迎え入れる。去年の春から一年が経過したと感じるのは縦軸の時間のこと、もうひとつの時間世界では、春は円を描くように一度村人の前から姿を消して、いま私たちのもとにもどってきたのである。一年の時間が過ぎ去ったのではなく、去年と同じ春が帰ってきた。時間は円環の回転運動をしている。このような時間存在を、とりあえず私は縦軸の時間と対比させて横軸の時間と記した。〔/〕それは自然と強く結びついた暮らしと労働を営む者たちの時間世界である。春が帰ってきたから、村人も春の農作業の世界に帰る。回帰してきた時間とともに村人は一年前と同じ世界に回帰する。(p.22〕
近代以降の人間たちは、時間論の視点からみれば、直線的な時間を確立することによって、鉛管の運動をする自然の時間世界から自立したのである。それは自然とは根本が異なる時空を手にすることによる、自然からの自立であった。共同体時代の人々のように、みずからもまた時間循環の世界の中に身を置きながら、自然とはスケールの異なる時間の循環を確立することによって自然から自立したのとは、この点で異なっている。(p.54)
これを初めて読んだ時は、時間には解釈の余地なんてないというか時計の刻む時間に何の疑いも抱いていなかったので衝撃を受けたことを覚えています。
この円環の時間というやつが。「田舎は時間の流れがゆっくりだ」の答えに相当するとは思っていません。筆者は上野村で暮らし続ける中で直線的時間とは異なるこの時間概念に気づいたわけであり、ちょっと観光かなにかで訪れただけの私たちが「ここには円環の時間が流れている」などと気づくはずはないからです。
しかしながらこの円環の時間の考えのように、田舎には私たちが普段当たり前と考えている時間概念とは違う何かがあることは確かでありそうです。
あるいは、私たちが「田舎らしい」と感じるものを目にした時に、それが普段とは違う独特な時間感覚を同時に感じているのかも。
簡素な駅舎。草が生い茂っている。のろのろとやってくる気動車。じりじりとした日差しと湿気。蝉がうるさく鳴いている。
そういった外部刺激が引き金となって何やら郷愁を感じるように、独特な時間感覚を感じていたりして。
だんだん何を言っているのか分からなくなってきたのでこのへんで終わりにします。
でも私はあのゆっくりした時間が流れている感覚がたまらなく好きなので、また青春18きっぷで鈍行列車に乗りに行くことでしょう。